「失敗を何とするか」で振り返り方が大きくことなると思います。振り返り方が異なるということは、何を改善点とするか、も異なるので成長の速度が変わるのではないかなと思っています。
まず「失敗を何とするか」と意味ですが、「失敗を何とするか」は客観的に見て同じと解釈する場合があります。例えば競輪で倒れてしまったら、それを目撃した沢山の人は「失敗だ」と認識するはずです。例えば料理で卵を床に落としてしまったらそれを目撃した沢山の人は「失敗だ」と認識するはずです。皆が同じ認識を持っている、ある標準に照らし合わせたときに、自分のアウトプットが、標準における達成基準に到達していなかったらそれは失敗と認識されるはずです。「競輪は(倒れずに)ゴールまで走り続けることが達成基準だ」「卵は(床に落とさず)料理に活用できることが達成基準だ」という客観的な前提がある訳です。
つまり客観的な視点が「失敗かどうか」を判断する基準だ、ということです。競輪や卵は明らかな例ですが、仕事や私生活でも他者から目標やルールなどが指定されます。「売上を幾ら立てる」「試験に受かる」「品質基準を実現する」「振り込みをいつまでに済ませる」「遅刻せずに会議に参加する」「髪型をこういう風にカットする」など、他者から求められる基準があります。その基準に達せなかったとき、その基準に達せないことを指摘されるとき、そこが自分でも「失敗だ」と認識できる基準です。評価、ルール、判定、標準、常識など、他者が設定する評価基準が「失敗かどうか」を決めるのです。
ただこれらは全て他者視点です。他者が設定したものです。勿論、他者が設定した基準を認識・意識する、重要視し成否に応じて一喜一憂する、これらは大切ですが、他者の基準に合わせる以外にも大切な基準があります。自分基準です。
「マラソンを走る」という議題にしても、何を目指すかは人によって違います。4時間以内で走り切ること、制限時間以内にゴールすること、マラソン大会に参加することなど、それぞれの達成したい基準があります。その基準に応じて達成できなかったら「失敗」と評価し、反省します。Aさんは42.195kmを4時間30分でゴールして「失敗」だと評価・反省し、Bさんは20km地点で途中で離脱し(たけどマラソン大会に出ることが目標だったから)「成功」だと判断し喜びを感じます。このようにある1つの活動をとっても、「失敗を何とするか」の中身はバラバラなので、人によって違うはずです。
数値(走行距離、タイムなど)がはっきりしている、ゴールの定義がはっきりしている、イベント性の高いマラソンなどの例はとても分かりやすいです。達成基準の設定がしやすく、達成基準があることを明確に意識できます。しかし、定量的でなく、ゴールの定義もはっきりしておらず、イベント性があまり高くなく、そもそも一般的な達成基準が無いものは、そもそも「失敗を何をするか」を意識しようとも思いません。意識しなくても誰にも指摘を受けません。一般的な基準が無いので、意識するきっかけもありません。意識しなくても自分も他の人も困らないし自分は怒られないし、意識していても誰も称賛してくれないです。
このような、定量的でなく、ゴールの定義もはっきりしておらず、イベント性があまり高くなく、そもそも一般的な達成基準が無く、誰も評価をしてくれない、漫然とこなしてしまう領域で、「何を失敗とするか」を意識する、反省することが著しい成長に繋がるのではないか、と感じています。
例えば、定例会議で自分がどう振る舞うか、です。他者の基準だと、例えば進捗を確認する、情報を他の人と共有する、会議に出たからには絶対に一回は発言する、みたいなものは存在します。もし共有すべき情報が共有されなかったら、後日トラブルに繋がり、失敗と評価されるでしょう。もし発言を一度もしなかったら、「会議に出たからには一回くらいは何でもいいから発言してみて」と上司から指摘を受け、失敗と評価されるでしょう。
ただこれだけだと、その活動における他者的な基準だけを気にしてしまい、自分の基準を見失ってしまいます。勿論、他者の基準が自分が大事にしたい基準と合致しており、他者の基準で成功することが自分の成功という考え方、ケースもあると思いまが、しかし、もし人と違う視点で物事を見たい、人と違う形・速度で成長したい、他者基準よりも価値を発揮したい、他者基準で「失敗だ」と評価されても充足感を高く保ちたいし労ってあげたい、他者の基準に囚われず自分らしく活動したい、そういう場合は「何を失敗とするか」の自分の基準を設定し、意識し、それに基づいて評価するのが有益でしょう。
さきほどの定例会議に戻ります。進捗確認、情報共有が定例会議の他者的な基準だとすると、それをクリアすると、それ以外は気にしないかもしれません。しかし自分の基準を設定するとすれば、例えば「ファシリテーターに工夫を加え、本来の機能は果たしつつ、いつもの8割の時間で会議を終了させる」という達成基準が設定できます。「場を温める観点・能力を培うために、会議の始めに雑談を入れる」「よりタスクが早く完了するように進捗確認時に5W1Hを少ししつこめに確認する」「既存のタスクが本当に目的、目標に合致しているものか建設的で批判的な問いを投げる」「定例会議の内容は後でキャッチアップすればどうにかなるので、他のプロジェクトを優先して会議には出席しない」など、本当に様々な自分基準の設定ができます。
もう1つ、例を考えてみます。例えばタスク管理についてです。タスクだと、間違いなく、期日通りに対応を完了させる、というのが一般的な、他者基準です。勿論、堅実に漏れなく間違いなく全てのタスクを淡々とこなせること自体に価値があります。ただ、具体的なタスクか、粒度が大きめのタスクかによって自分基準も様々かと思いますが、例えば手順や成果物が既に決まっていて他者(上司など)と認識があっているのであれば、単に期日通りに完了させるだけではなく、自分が成長したい方向、意識付けしたい内容に応じて、「期日の2日前に提出する」「タスク完了報告の際に既存の手順の改善を提案する」「他のタスクの方が優先度が高いはずなので、期日を後ろ倒しにできるか上司に交渉する」など、自分の基準を設定できます。
もし粒度が少し大きい場合やある1つのタスクではなく仕事の進め方について、何かを改善したい、高めの視座を習慣付けたい場合は、(本当に例なので自分の弱点、課題、目標、哲学、ロールモデルなどによって人それぞれですが、)「期日ギリギリに100%を目指して提出するのではなく、まずは60%くらいですぐに上司に認識が合っているか確認の壁打ちをする」「優先度を緊急度と優先度の四象限で整理して、やらないことを選択する」「資料作成の際に”why”を5回考える」「コミュニケーションの際に他の人の視座を合わせるために『なぜそれをするのか』を質問する」など、様々な自分基準の設定ができます。
これをすることで「何を失敗とするか」の位置が他の人とズレます。「定例会議に参加して進捗確認、情報共有に参加する」が成功の基準だったのが、基準が「ファシリテーションを工夫し10分早く会議を終わらせる」などにズレる(またはもう1つできる)のです。100%が成功の基準でしたが、120%(や80%)が成功の基準になります。軸がXからYにズレることもあります。そしてその自分基準に達しなかったときに「あ、失敗した。改善しないと」と意識できます。基準がズレることで、一般的に人々が囚われるような基準の殻を破って、工夫のきっかけとなり、意識・行動の軸が変わり、結果として成長できると思います。他の人と違った変化を生み出せるはずです。
「頑張る」「改善点を意識する」などだと抽象的過ぎて意識の向け方が分かりにくく行動に移しにくいと思ったので「自分基準」「何を失敗とするか」という言い方をしました。単なる1つの切り口、考え方としてこのような表現を使っていますが、簡単に言うと、「学ぶ姿勢を持つ」ということです。自律的に成長を図る、自発的に課題を設定する、能動的に改善点を見つけ克服を試みる、ということだと思います。「失敗」という呼び方をしましたが、「失敗=学び」だと思うので、学びの精度を高める、学びの機会を増やすのと同義だと思います。そして、繰り返しになりますが、これを実行することで、なりたい自分に近づけると思います。仕事に関して言うと、自分で仕事を創る、というのはこういう意識の違いから生まれると思うのです。
一般的な他者の基準ばかりに囚われず、自分基準の「失敗を何とするか」を常に頭に入れて、自分らしい変化・成長を遂げたいと思います。