目まぐるしく動かないといけないが、色々あるときがあります。頭の中が沢山のやるべきことで溢れそうになり、明らかに自分でも混乱している感覚、物事が整理できておらず突貫工事のように動いて全体像が見えていない感覚、誰しもが経験したことがある感覚のはずです。
こういうときに僕がまず考えたのは、「早くしよう、速くしよう」ということです。着手が遅いから期限のギリギリになって時間的、精神的にタイトになってしまう。作業スピードが遅いから、やるべきことが処理し切れない。だから結論として「早く着手しよう」「工夫して処理スピードを上げよう」と考えます。
「着手を早くする」「工期を短くする」「速度を上げる」という工夫は、ある側面では正しいです。遅く終わるより、早く終る方が良いことが多いと思います。しかし最近、この「はやくしよう」という考え方に危険が潜んでいるような気がしています。「はやくしよう」より「ゆっくり考える」というものの見方をする方がいいのでは、「ゆっくり考える」が全体的な最適に繋がるのでは、と考えています。
ショートカットを極めてデータ入力の速度を上げる、タスク管理ツールを使って所要時間を見積もりながら作業を進めるなど、出来ることはあります。そして、それらの精度を追求して磨く観点も大事で、職人技的な領域まで持っていき価値を生み出す観点も大事です。しかし、そもそも「速く(早く)」には限界があるはずです。速度アップやそれによる効果は微量となってしまうかもしれません。
その限界を超えるのが「ゆっくり考える」です。「はやく」を大事にする意識以上に大事なのが、「ゆっくり考える」です。タスク管理や対策立案の領域だと「それってそもそもやる必要があるか、どのような機能があり、何なのか」「”今”優先的に対応する必要があるのか」という観点で、ゆっくりと考えます。疑いの目で物事をゆっくりと観察します。
「ゆっくり考える」というのは、反応せず、焦りを排除して、疑う、を意味しています。3つ、細かく見ています。
「反応しない」とは判断を下さないことです。「反応する」とは、思考停止して行動してしまうことです。意識的な動機あればいいですが、例えば「誰かに承認してほしい、自分自身に評価してほしい」「早く結果を出したい、結果を出さないと承認・評価されない」という欲求は隠れており、それらに囚われていることを認識できていません。「早く結果を出すべきだ」「自分はこうあるべきだ」「自分がこう行動するべきだと他の人が考えている」というものが根底にあることで、その解釈(解釈された価値基準や倫理規範)を自分に押し付けてしまい、反応してしまいます。「どんな動機、感情で行動をするか」を飛ばして既に手を、足を動かしてしまっているのです。
そして焦りは、「焦りだ」と明示的に認識せずとも、反応に内在していると考えた方がいい気がします。反応してしまった時点で、(自覚はできないですが、客観的に見たときに)「焦る」というフェーズにスキップして、反射的に反応しています。その反射的な反応に客観性や疑いはありません。刺激に対して安直なフィードバックをしてしまう、というイメージです。
最後に「疑う」ということです。焦っていると、混乱して頭がボーッとしていたり、落ち着きを失ったりしてしまい、物事を見つめ直すことが出来ません。何が大切なのかを静かに捉えることが出来なくなります。思考停止して反応してしまいます。無作為に解釈、行動してしまいます。「疑う」ということが出来なくなります。人は目の前にあること・提示されたこと引っ張られたり、簡単なこと・分かりやすいことから始めちゃう思考の癖があります。自分が消化しやすいものに執着して思考が引っ張られちゃいます。
混乱しているとき、焦っているときは、引っ張られる感覚が顕著になります。思考や行動の癖(欲求や解釈、反応など)、そしてその構造に囚われて外に出られません。頭がいっぱいになり、客観的に物事を見ることが出来ません。客観的に物事を見られなくなると、大事でないものに大事なもの(時間、労力、感情、お金など)を投資してしまうことになります。反応せず、焦らず、疑う、それが「ゆっくり考える」ということです。
例えば、「データ入力をこういう風にやっておいてください」と依頼があったとします。焦って反応してしまうと、何も考えずに手を動かし始めてしまいます。「ゆっくり考える」場合、一旦そういう依頼があったことを受け止めて、少し上流を見てみます。「こういう風に」とやり方を指定されているが、そもそも別のやり方の方が効果的、スピーディーなのではないか、データ入力が必要だというのは網羅的に何かを分析しようとしているだけで仮説を立てると、そもそもデータ入力が不要になるのではないか、などです。
例えば、「こちらが改善提案です」と連絡があったとします。(自分の役割やミッションは何で、相手とどういう関係性かにも依拠しますが)改善提案をしてくれたから全て手を打たないと、期待に応えないと、と承認欲求が刺激され、すぐに行動をしたくなることがあります。「ゆっくり考える」とは、(改善提案があったことをまず感謝し、)文面をじっと見つめ、落ち着きます。そしてゆっくりと文章を舐めるように読みながら「これは本当に実行する必要があるのだろうか」「全体最適になるだろうか」「(属しているグループの)ミッション、存在意義に則しているだろうか」など、疑います。色んな角度から、ゆっくりと、のろのろと考えます。これらが「ゆっくり考える」のイメージです。
繰り返しですが、「速く(早く)」は大事です。今の業務が重要だと確立された上で、今のやり方の延長線上で納期、工期を短くしようと試みる視点、努力、施策は大切です。また指揮統制上、育成関係上、(目的や目標をしっかり踏まえた上で上流で立案されたアクションだから、例えば警察などでアクションが大事なアクションだということ・指示に従うことなど)とりあえずはやく手を動かすことが大切な局面があると思います。
その局面を理解しつつ、「ゆっくり考える」という切り口が大事だと思いました。最近いかにフレームや常識や通例に引っ張られているかを実感することが、多々ありました。やることが沢山ある中で、「何をどうするか」ばかりに頭を引っ張られるのは危険だと感じてきました。ゼロから作るより既にあるものを変える方が難しいと感じたし、目の前にあるもの・簡単なもの・分かりやすいもの・提示されたものを反発するのがどれだけ難しいか、毎日実感しています。
そこで、なるべくゆっくり考えるようにすると、少しだけ物事の解像度が上がる気がしてきました。全体的な(長期的で全体に適した)生産性が上がるのではないか、と感じてきました。実行するを前提に手を動かすスピードを上げようとするのではなく、何をしないかを選ぶ(その基準、優先順位を明確に持ち、落ち着いて基準と照らし合わせ、しないと決めたものを頭から消す)が大事だなと思います。焦ったり混乱したりしていると、優先順位やそれが基づくビジョンや目的への意識が薄れてしまう気がします。それが起きないために、速く(早く)仕事をしようとするのではなく、焦らずに一回頭と心を落ち着かせて「ゆっくり考える」をしていこうと思います。